天空の階段  タペストリ

 

 部屋に招待状が届いた。宛名は璃紗と智奈だ。その封筒は深みのある藍で染

めた手織の布でできており便箋は羊皮紙だ。

 

 

  璃紗様、智奈様

  私たちの部屋にどうぞお越し下さい。

                             K&H

「K&Hって誰だろう。」と璃紗。

「行ってみようか。でないと何もわかんないね。」と智奈。

「大丈夫ここでは危険はないよ。」と私。

「そうね、行くわ。」と璃紗。

 

 同封された船内図を見てその部屋を二人は訪れた。扉をノックしたが何も反応は

ない。鍵はかかっていない。   智奈はそっと扉を開けた。

 「・・・・・・・・・・」二人は声も出ない。どこまでもどこまでも続く壮大な長い部屋。

部屋の向こうの壁は湾曲した床に阻まれてここからは見えない。そして片面には

延々とあのタペストリが飾られている。もう片側はガラス張りで青い空と海が広が

っていた。その回廊のような長い部屋は飛行船の片側全てを端から端までほぼ貫

いているようだ。飛行船の外形に従って湾曲した床が穏やかな坂道になっている。

 壁のタペストリは最初は崩れ落ちる貿易センタービル。黒々と積み上がった壊れ

たパソコン、古い書類の山。崩壊する世界を描いたその絵柄は光がふんだんに差

し込む明るい部屋の中には似つかわしくなかった。そしてそのあとはどこまでもど

こまでも続く黄色い雛菊。2人は歩き続けた。

 

 「長いね」

 「うん」

 「何のことか、わかるの、姉さん。このたくさんの花。」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うん、多分。・・・・」

 

遥か遠くから微かに機織りの音が聞こえている。

かったん、つー、とんとん、ぱったん。かったん、つー、とんとん、ぱったん。

 長い回廊の先は広いホールとなっていて、雛菊の畑は忽然と終わった。ホール

の壁のタペストリには巨大なキノコ雲が立ち上がり、地上には一面の死者。

 「キノコ雲と雛菊・・・・・・・・・・・・・・・・・・デージーカッターね」璃沙が呟く。

「大型気化爆弾。デージーカッター。アフガンでイラクで、そして北朝鮮で大量に使

われた、限りなく核に近い究極の通常兵器。空中に可燃性ガスを散布した後点火

して、一発で半径数百メートルの人間を焼き殺し窒息させるの。キノコ雲の下には

誰も生きていないのよ。」

 

 

 ホールの中央で白髪の老人が二人機織り機に向かっていた。一人が横糸をもう

一人が一段高い位置で縦糸を操る大ががりな機織り機だ。

「こんにちは、あなたは・・・・」璃紗が手前の一人に問いかける。

彼は答えない。

「こんにちは、あなたは・・・・将軍様ではないですか?」

彼はちらりと二人を見る。

「あは、そういうことね。」璃紗は呟く。

 璃紗は着ていたドレスのベルトを外した。肩から薄布が滑り落ち、下着を付けな

い肢体が明るい部屋の中であらわになる。智奈も背中に結んだ紐を解き、はらりと

服を落とす。

 機織りの主の一人、手前で横糸を手繰っていた老人は嘗て「将軍」と呼ばれた

人物だった。北朝鮮に対する核査察結果=シロ を不正だとしたアメリカによる核

施設限定を標榜する「北爆」、報復のソウルと日本に対する僅かな数のミサイル

攻撃。そして第二次朝鮮戦争は一週間で終わり「北」の歴史は終焉を迎えた。当

時の報道では「彼」は瓦礫の中で行方不明となっていた。

 

 「私は、」彼は全裸の二人の方に向き直り、ゆっくりと、自分に言い聞かせるよう

に語り始めた。

「昔、私は小学校の卒業文集で、世界を救う人になりたいと長い論文を書いた。人

々は私を神童と呼び、私もそれに答えようとしたのだ。私は一生懸命学んだ。生

物、物理、化学、数学、経済学、社会学、哲学、文学・・・。そして、世界は二つの

異なる価値観の地域から成り立っているという世界観。

 私は最初はアメリカ帝国や日本帝国の人間は極悪な者だと考えていた。違いは

そこだと思っていた。そう学んだし、まわりの教師も常にそう語っていたからね。だ

が、それは違っていた。秘密の執務室で身分を偽りインターネットにアクセスし、世

界中の様々な会議室や掲示板を巡るうちに、彼らもまた我々と同じ優しく人間味

がある普通の人間であることに気づいたのだ。もっとも、酷い奴も中にはいたが、

それは私の国でも同じことだ。そういう問題ではない、もっと本質的な違いに、その

後程なく気づいたのだ。「西」と呼ばれる資本主義社会と、我々北朝鮮社会の本

当の違いにね。

 彼ら資本主義社会の人間は、はどうやって自分が生きているのかについて、何

ら興味を示さないという点だ。その点で彼らは我々とは全く異質な人間だと思う他

はなかった。我々北朝鮮の人間にとって常に最大の興味は自立し生存することだ。

この冬の寒さに凍えぬために秋に薪を集め炭を焼く。秋に飢えないように春耕し種

を蒔き、夏に水をやり草を刈る。そのような生きる上で最も重要だと思われることに

彼らはなんら興味を示さぬのだ。そして、何も知らないのだ。

 私は国を任された時、父から受け継いだ3つの原則だけは何をおいても守ろうと

思った。それは、政治、経済、国防の自立だ。中でも経済の自立には力を注いで

きた。経済を自立させるということは、自国で必要な物を自国で生産するということ

に過ぎない。しかし、その重要な事に興味を持たない国のなんと多いことか。

 私はその時知った。父が何時も語っていた通り、彼らは進んでいるのではなく退

歩しているのだと。彼らは聡明なのではなく愚昧なのだと。彼らの自由と豊かさは

幻想の中に立つ蜃気楼なのだと。」

 もう一人の老人が梯子をゆっくりと降り、こちらにやってきた。

「あなたは・・・大統領」

「そう、私もまた国を失った人間だ。そう言えば嘗ては大統領と呼ばれていたね。」

 彼もまた語り始めた。

「食糧を他国に頼り輸入で良しとすれば、限られたこの地球では食糧を通して支配

を受けるか、食糧を確保するために支配するかのどちらとなるだろう。エネルギー

でも同じことだ。彼の帝国がなりふり構わず私の国に軍を進めたのは、もはや私

の国にしか大量の原油は残されていなかったからに他ならない。」

 将軍が続けた。

「食糧やエネルギーなど経済の根幹を他国に委ねるという選択は私には想像もつ

かないのだ。私の国では主なエネルギーは薪だ。我が国はこの一年に得られる

薪から生じるエネルギーによって、その豊かさの総量が規定される。それを越える

贅沢は断じて許されないのだ。」

 大統領が語る。

「日本や韓国やアメリカは原油で動いてきた。しかし、それももう尽きようとしてい

る。どうするのかね。使えば無くなることから目をそらすことで築いた豊かさを豊か

さと言ってきた。車を走らせ飛行機を飛ばし、エアコンを全てのオフィス家庭に行き

渡らせ、膨大な消費の体系を高度な文明だと豪語しながら、その源である原油は

誰一人作ってはいない。豪華な食卓を日々楽しみながら、誰一人作物の肥料を作

る者はいない。掘り出される資源を無限だと定義することで初めて成り立つ豊かさ

と安寧と平和。私の国では私が原油を管理することでそのような馬鹿な社会にな

らぬよう努力を傾けてきたのだ。そして、人々には羊を飼い麦を育てる営々と続い

てきた営みの優れた技を手放すことのないよう訴え続けてきたのだ。」

「私の国は散々罵倒されてきたが、そんな馬鹿な経済システムにだけは飲み込ま

れまいと心に決めていた。これは政治家の矜持というものだろうかね。」

 そう将軍はしめくくり、二人はまた静かに機を織り始めた。

 

 

 

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