天空の階段 晩餐

 

「さあ、着替えて船内を廻ろうか。智奈さんも好きなのを選んで下さい。私は先に

レストランで待っていますから。」

二人はクローゼットを開ける。ずらりとすばらしいドレスが並んでいる。

「ねえ、お互い相手の服を選ぶのはどうかしら。」

「ええ、もちろん、璃紗さんに選んでもらえるなんてうれしいです。」

 璃紗は、クローゼットから1着を選び出す。

「これどう。」

 黒の薄い絹のドレス。上半身は首の後ろで括る細い1本の布でできている。下

はくるぶしから腰のあたりまで、前も後ろも大きく切れ込んだ、ゆったりしたスカー

トになっている。

「これでも服なの?いいわよ、着ればいいんでしょ。」

 智奈は笑って裸になる。

「あのう、下着は・・」

「そんなものいるわけないでしょ。」

 智奈の胸のふくらみは、首から降りている細い布で、上から下にかけて、乳首

のあたりを覆うだけで、ほとんどが剥き出し。歩く度に腰を覆う布も揺れ動き、前か

らは秘所が、後ろからは白いお尻が今にも見えそうになる。注意深く見つめれば、

すぐにその両方を直接目にすることができそうだ。

「・・・・・・・今度は璃紗さんの服ですね。」

 智奈は、黒だが、なんというのか、限りなく透明に近い布が全身を覆うようにな

っているのを選ぶ。

「まあ、智奈さんも案外ね。」

「いいえ、仕返しです。」

 形の上では全身が覆われているのだが、見た目は限りなく全裸に近い。その薄

い布からは、乳輪も鮮やかなほど乳首は透け、無毛にされている陰部は、淫靡な

亀裂までがあからさまになっている。

「素敵ね。でも見えないようにしようとすると歩きづらいわね。」

「確かにこの生地はいいわ。でも、こんなのホントに着る人いないわよ。」

「いるじゃない。」「ここに。」

同時にそう言って、二人は笑い転げる。

 二人はロビーへ降りて、前方のメインレストランへ向かう。ステュワードが恭しく

扉を開く。ブリッジのすぐ下に位置するこのレストランは3階吹き抜け。正面は一面

のガラス張り。傾きかけた夕日を浴び、茜色に染まりつつある大海原が広がって

いる。背後の壁には中世ヨーロッパの牧歌的な暮らしを描いた落ち着いたタペスト

リーがかかっている。もうおなじみのあの作者のものだ。

 私は窓際の席から手招きする。幾つかの視線が肌もあらわな二人に集まるが、

ここでは、それもさりげない。ゆったりとした時間が過ぎていく。静かなピアノの音

と微かなエンジン音が聞こえる。

 日が沈んだのかあたりは次第に暗くなる。天井のシャンデリアはごく控えめな光

を投げかけるだけ。テーブルの真ん中のキャンドルスタンドにろうそくが灯され、暖

かい光がようやく白いテーブルをゆらゆらと照らす。置かれたグラスにはワインが

注がれる。

「イタリア、トスカーナ産の白、ラクリマ・クリスティ(クリストの涙)でございます。」

 揺らめくろうそくの炎がグラスに反射してきらきら輝く。

「まずは乾杯」

「何に?」と璃紗。

「3人のこの不思議な出会いに」

と私はグラスをさしあげる。

「乾杯!」「乾杯!」「乾杯!」

 

  長さ20センチぐらい、直径数ミリ。不定形にうねった焼き物が乗せられた皿が

テーブルに置かれる。

「どうぞ、グリッシーニでございます。」

「極細パン。パンというよりポッキーの原型ってとこかな。」

「かりかりしておいしいわね。イタリア風の突き出しね。」と璃紗。

 暫くして大きな皿が運ばれてきた。いろいろ盛られている。

 「冷たいアンティパストミストでございます。こちらが地中海産の生タコ、これが

鶏卵と近海で穫れた魚の卵のあえ物、そちらが生ハムとチーズのサラダでござい

ます。こちらのレモン風味のオリーブオイルをかけてお召し上がり下さい。」

「鶏と魚の卵のあえ物はギリシア料理でエーゲ海の名物。ほっぺた落ちるよ。」

「うわーおししい。魚の卵がぷちぷちしてる。」と璃紗。

「生ハムとチーズは定番かな。乗ってるのはモッツァレラ・ディ・カンパーニャ。イタ

リアカンパーニャ州産の水牛の乳で作ったチーズ。」

「オリーブオイルって、このやたら細長い瓶ね。あ、輪切りレモンが漬け込んである。」

と智奈。

「こっちの酢を利かせたタコもギリシア料理。ちょっと酢がきついかな。」

「生ハムのチーズ、日本にもあるけど本場は違うわね。タコは・・ああ、すっぱい!

でもおいしい。」と璃紗。

 次は暖かいアンティパスト。

 蝋燭の炎を反射して光るステンレスの半球形の蓋をかぶせた皿が運ばれてくる。

「地中海ダーダネルズ海峡産ロブスターの軽い薫製でございます。大変お熱くな

っておりますのでご注意下さい。」

 目の前で蓋が開かれる。もわっと木の香りがテーブルを覆う。器には網が置か

れその下では炭がまだ赤く燃え続けてチエリーチップを熱している。

 「ほんとに燻製したてなのね。あ、燻製中か。」と璃紗。

 「いい香りだね。これなら冷めるってあり得ないね。」と智奈。

 山の木の香りにひきたてられた新鮮な海の味が二人の口一杯に広がる。

 次はパスタ。

「ウズラと野菜のラグーを詰めたトルテリーニでございます。」

「両端を結んだ餃子みたいだろ。」

「指輪みたい、と言って欲しいわ。」と璃紗。

 璃紗はラビスの指輪を飾った指先を伸ばす。青い指輪がろうそくの炎に光る。

「ウズラの挽肉と野菜を炒めあわせたのを、薄い小麦粉の皮で包んだ具入りパス

タってとこかな。」

「これもおいしいわね。」と璃紗。

「もっと食べたいけど、まだメインがあるしね。」と智奈。

 そして魚料理

「ミコノスの港に今朝揚がったメカジキのインボルティーニでございます。」

「内蔵を取ったあと、中に松の実、干しぶどう、チーズを詰めて炊いた物。」

「香草の香りが白身にしみこんでいいわね。これ。」と璃紗。

 さいごの肉料理は・・・

「ローマ風サルティンボッカでございます。」

「仔牛肉を叩いて伸ばし、その上に生ハムを乗せてジュワっと焼いてある。サルテ

ィンボッカって急いで放り込むって意味らしいね。さっと焼いてさっと食べてというこ

とかな。」

 「うわーやわらかい。」と璃紗。

 「肉汁がいっぱいだろ。離乳前、まだ草を食べたことのない乳のみ仔牛の肉。」

 「ちょっとかわいそうね。」と智奈。

 「でも最高においしいね。」と璃紗。

 そしてデザート。

「デザートはズッパイングレーゼとフルーツタルトの盛り合わせでございます。」

「ズッパイングレーゼは、イタリア伝統のケーキ。スポンジにリキュールを含ませた

ものをチョコとカスタードのクリームで挟んだもの。」

「ティラミスの親戚ね。」と智奈。

「日本ではティラミスばかり有名になったけど。こっちもいいねえ。」と私。

「ホント、リキュールが良く効いてるわ。」と璃紗。

 最後にアイスクリームが運ばれてくる。テーブルのろうそくが一本を残して全て

消され、あたりは暗くなる。

「ジェラートコンサンブーカ でございます。暫くお待ち下さい。」

 香辛料を挽くための小さなミールにコーヒー豆が3粒だけいれられ、豆を挽いて

アイスに散らしていく。

「それでは・・・」

 ワイングラスにリキュールが注がれ、目の前でグラスがゆっくりと廻される。キャ

ンドルスタンドにグラスを向けるとグラスの中がほわっと青白い炎に包まれる。

最後のろうそくが消された暗いテーブルの上で、グラスがアイスの上に傾けられる

と燃えるリキュールが流れ落ち、アイスクリームはクリスタルの器を煌めかせ淡い

青い炎であたりを照らす。

 「・・・・・・・綺麗。」思わず声をそろえてしまう二人。

「アニスの実を漬けたこのリキュール、サンブーカは、食後にコーヒー豆を3粒浮か

べて飲むと幸運が訪れるって言われてローマではやったんだ。」

「私たち、これから幸運に恵まれるのかしら。」と璃紗。

「こうして素敵な食事が頂けるだけで幸運だと思います。」と智奈。

 汽笛の音が響く。正面を光の城のような大きな客船がイルミネーションをきらめ

かせてすれ違う。静かにエーゲ海の夜が更ける。

 

 

 

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